花岡事件を歩く        フィールドワーク案内版
 獅 子ヶ 森 K
山 頂 に 立 っ て

 花岡事件フィールドワークの最後の地は、獅子ヶ森の山頂に立って見ることにする。中山寮を蜂起、脱走した中国人たちが、翌7月1日の早朝、薄明の中に、この山頂から大館市街地を見おろしたときの驚きは、どんなであったろうか。
 計画当初の予定では、大館盆地を東に走り抜け、花岡から見て最も遠く、高い山々秋葉山、鳳凰山方面をめざすはずであった。そこにだどり着き、山に籠(こ)もることができたならば・・・・・・。日本の敗戦は近いはずだ、と彼等は思っていたのである。しかし、当時の道路状況では、この獅子ヶ森へたどり着くのは、ごく自然なことであった。
 松峰を過ぎ、釈迦内村に突き当たって右に曲がった場合、大館市街地へ向かうのを避けたならば、道は一つしか残らない。釈迦内神明社前を通り、獅子ヶ森に至る細い道を進むことになるからである。この道の行き着く先は、獅子ヶ森山頂であった。
 現在、獅子ヶ森住宅街を形成する山麓一帯は、当時「亜鉛工場」が一つ建っているだけで、畑すらほとんどない原野であった。その中を、獅子ヶ森への狭い道があって、それが登山道に続き、山頂へ至るようになっていた。戦後、大舘市制記念公園に制定され、獅子ヶ森公園として整備されたときには、頂上付近に四阿(あずまや)が置かれたりして、訪れる人も多かったが、今では、道らしい道もなく、標高わずか224・7mのこの山の頂上に登ることは、相当に困難になっている。
 しかし、苦労して登りきって見た山頂は、当時のままの岩場であった。この岩場の狭い山頂部に、数百名の中国人たちが座り込んでいるその情景を想像してみる。その中の一人となって、下界に広がる大館の街を見おろす。周囲の山々を眺める。中国人一人ひとりの、心の想いを思いやる。その憎しみ、怒り、悔しさ、悲しさを原点として、日中友好、アジアとの連帯、世界平和へと希望を広げていく
  
 獅子ヶ森山麓に建つ市立郷土博物館には、「版画・花岡ものがたり」57枚が常設展示され、館前庭には「小林多喜二文学碑」が立っている。
 花岡事件の現地を巡ることは、殉難中国人の心にふれることである。殉難中国人の目で、わが故郷を見つめ直すことである。「再び花岡事件を繰り返してはならない」と、己が心に誓うことである。

   山頂から大舘市街地を望む
                  滝の沢第二ダム堤防から獅子ヶ森遠望
 
10 11 12