12  中国人がたどうして
      花岡
きたか(3)
むかし ドイツにぬすまれ 今わ
日本鬼にぬすまれいる 港
おれたちの青島から 船につみこまれた
あいもかわらぬ ひもじさ かわき
水のませろといえば 海にけおとされ
船の鉄官のしたたりをなめた
息もたえだえ---日本につれられてきた

これが ほりょのはなしだ
あばら がらがら ひざ がくがくの
あの人がたわ つれこまれた
秋田の北のどんずまり---花岡え
そこで 土木のかしま組の
中山寮
 ぶちこまれた



  13  か し ま 組

中山寮たら 人ぎきもええが
なんの 地ごくの一丁目
それからわ---900人あまりの中国人の人がたの
みるもむごいあつかいが はじまった
ノス
おれたちわ 毎日 眼をそむけた

げん場までの みちみち
ちょつと列が みだれたとて
こんな 太い捧でぶちのめす
半ごろしの目にあわす
あれが 抗日戦のよりすぐり
八路の人がたが 先とうだつたため
日本軍はばつと 汪政けんがはなしあい
いたぶりころすために
つれてきたということだー




   14  ぢ ご く 作 業
夜の 外出わ かたくとめられ
なつ冬なしの きたきりすずめよ
ほねも ちぎれそな この北国の
寒のどろ水 はだしではたらき
ごろごろと うえ死に こごえ死に
うごけなくなつて スコップにもたれ
ひと息つけば 打ちのめされ
のめれば かならず死んでいつた

こうして 夜わ9時になり
ときにわ 夜中になるまでも
日本刀と捧
 どなりごえ
かりたてられるのが きこえた




   15  一 ぱ い の 水
どんなに のどがつかえても
作業中わ 水一ぱいものませねえ
どんなにたのんでも ゆるさねえ
これわ 花岡川のなか
ひざまでつかつて はたらきながら
しやくつてのむにも眼がひかる
とうとうたまらず一口のめば
いきなり 捧が くつが 刀のさやが
しやがんだ人の 肩 腰 せなか
ところきらわず つく ける なぐる
  (むりやりころすつもりだべ

みたものわ みなそうおもうた



  16  か い こ ん

病気になつた 人がたも
スコップかつがせ ウバサワの
あれ地ひらくに かりだされた
ノス
みていりや 今にものめりそうに
シャベルにすがる うしろから
ピシャリ ピシヤリ
がうなつた

畑わ あおあお みのつだども
なんと はぢしらずなことだ
べカ

いのちがけのしごとした あの人がたの口
わ ひとつもはいらなかつた



     17  毒  草
ドングリの粉 リンゴのカス ヌカと水
馬もくわねえ こんなものが
あの人がたの くわせられたもの
いつたい おかみの配給わどうした
かしま組のかしらが よこながししたらしい
そこで ふまれた リンゴの皮をくい
道ばたの草もくいつくし
---毒草くつて死んだ人もあつた

立っておれるのが ふしぎなほどの
栄養失調のあの人がた
それでもなおも 歯をくいしばり
ふみこたえ 行きぬいてきた

なにがために
ああ なにがために



   18 う ら ぎ り も の
みさげた奴が ここにもいたど---
なかまみんながくるしみ
なかまみんなが ふみこらえているときに
そやつわ ぬすつとみたいに
カントクさへつらい かおいろうかがい
酒のしやくやら めしの給仕
配給のピンハネ やつたぬすつとの
おこぼれもらつて 腹ふくらませ
なかまをくるしめ いばりちらし---

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