1、遺骨発掘、収集、送還(1949年8月~1964年11月)
1949年 遺骨発掘
1953年 第一次送還(現地を代表して金一秀、松田解子の2氏が代表団に)
1963年 一鍬運動
1964年 第九次送還(鈴木義雄、武田武雄、蔦谷達元の3氏が代表団に入る
2、慰霊行動、行事(1951年7月1日~現在 民間、地域住民として)
1944年 信正寺の先々代住職蔦谷達道師は中山寮初期の頃の殉難者の慰霊・
供養をする)
1945年~信正寺 慰霊供養
1947年 七ツ館弔魂碑(碑の建立には直接の関りはない)
1949年 供養塔
1963年 中国人殉難烈士慰霊之碑(十瀬野墓地公園の慰霊には一鍬運動の遺
骨収集後に深く関わっている)
1966年 日中不再戦友好碑
1980年 共楽館跡碑(まもる会の主張で市が建立)
3、花岡事件の事実解明、調査研究(1967年~現在)
・高橋実医師の告発(1946年、1975年)
・華僑民報、アカハタの報道(1950年)
・松田解子の取材、調査ルポ、小説『地底の人々』等(1950年~2003年)
・連載版画『花岡ものがたり』(1951年)
・劉智渠『花岡事件』(1951年)
・『草の墓標』(1964年)
・GHQ,LS文書の分析(1981年~1986年)
・生存者の証言(1947年~)
4、記録し、伝える(1965年~現在)
①書籍の出版
・『40年誌(1985年)』 『50年誌』(1995年) 『60年誌』(2005年)
『70年誌』(2015年)
・『大館市史 近現代(三巻下)』 会員7氏執筆(1986年)
・同要約版の全戸配布 小中学校郷土史副読本
・『花岡事件を歩く』(1995年)
・『フィールドワーク花岡事件』(2011年)
②教育実践(1968年~ )
・花岡小学校(庄司時二)、花岡中学校(佐藤守)、花岡工業高校(芳賀義克)
・市内外の実践 (渡辺豊彦、伊藤一之)実践 他多数
・秋大付属中学校・仙北神代中学校→秋田大学社会科教育研究室(2003年~
2005年)
・日教組研究集会、歴教恊大会、東北民教研(1969年~)、秋田民教連冬の集
会(1964年~)
・中学校、高校生の文化祭、学校祭での展示発表
・『おはなし歴史風土記』 紙芝居『二度とおこすな花岡事件』 版画集『あの山
を超えて』
・大学との共同学習(秋田大学、弘前大学、岩手大学 2016年)
・秋田大学付属小・中学校で授業(2017年)
③他団体との交流
・母親大会(秋田県、全国)展示、フィールドワーク
・『地底の人々』、小林多喜二作品の読書会(2000年~2011年)
・連作木版画『花岡ものがたり』再刷(2001年)
大館市、韓国光州美術館へ寄贈 アメリカ、中国で展示(中国版『花岡惨
案』)
・花岡事件をテーマにした演劇など 『勲章の川』、『釈迦内柩歌』、『風は語っ
った』の公演
④フィールドワーク案内(1975年~現在)
・案内サークル発足(1997年 会員20名で)
2000年から小林多喜二、安藤昌益コースを含める
・2020年3月現在 313回 7,479人