「労工狩り」「兎狩り」作戦とは
 1941(昭和16)年8月~9月上旬にかけて「北支那方面軍」を二分した第十二軍が中国華北、山東省博西方地区の吐糸口鎮付近で戦闘。
 日本軍は、中国人の男を片っ端からとらえた。それは日本国内、中国東北地方、華北などの鉱山、港湾荷役、軍事基地などで使役する中国人を狩り集めるのが目的。この種の作戦は「労工狩り作戦」と呼ばれた。
 1942(昭和17)年になると、この「労工狩り作戦」はいっそう激しくなる。第十二軍団はこの年の9月から12月、1月にかけて華北で大包囲網作戦を行った。この作戦は、別名を「兎狩り作戦」という名で呼ばれた。それは、兎を狩るように、部落を包囲してその中にいる中国人をねこそぎ捕えたからである。
 1941年から43年まで、日本軍が華北の抗日根拠地での大規模な「掃蕩作戦」では殺光(殺しつくす)、焼光(焼きつくす)、略光(奪いつくす)という「三光作戦」をおこなった。