いしぶみ
    発行  2024.7.10   No146
  花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会    機関紙
 焼香して殉難者に祈りを捧げる参列者

 

 

  79周年中国殉難烈士慰霊祭おこなわれる 
79周年花岡中国殉難者烈士慰霊祭行われる
 今年も6月30日、信正寺で上海在住石田隆至(明治学院大)先生やピース北秋田の皆さんの参列のもと、75回目の慰霊祭が行われました。
  花岡事件犠牲者を追悼
    
 秋田県大館市の「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」は、花岡事件79周年にあたる6月30日、同市花岡町信正寺で「第76回中国殉難烈士慰霊祭」「日中不再戦友好平和の集い」を行いました。
 花岡事件は、侵略戦争下の1945年6月30日、強制連行された中国人労働者が花岡鉱山下請けの鹿島組(現鹿島建設)での過酷な労働や虐待などに蜂起したもの。46年3月までに419人が亡くなりました。
 齋藤光雄代表は、人間の尊厳を奪う強制連行・労働の実態にふれ「犠牲者の憤りや悲しみ、悔しさを胸に刻み、二度と過ちを繰り返さず、平和を守る誓いを新たにしよう」と呼びかけました。
 日本共産党の加賀谷千鶴子県議、今泉まき子大館市議が参加。高橋千鶴子衆院議員からの「金権腐敗にまみれ、悪法を次々強行し『戦争国家づくり』を進める自民党政治を止め、平和と人権、民主主義を守るため一緒に力をあわせましょうとのメッ

セージが紹介されました。参加者らは供養塔、七ツ館弔魂碑に献花。日中不再戦友好の集いでは、有事をあおり改憲、大軍拡を進める政府への怒りや、同会の市民による「慰霊祭」等の歴史にふれ、平和外交推進へ市民運動の重要性など活発な発言が相次ぎました
 秋田 強制連行・労働の実態訴え
花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会
 花岡事件79周年慰霊祭  あいさつ
代表  齋藤光雄
 花岡事件79周年慰霊祭に参列された皆さん、大変お忙しいところありがとうございます。
 1942(S17)年11月27日、東条内閣は「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定し、大企業の要望に応え、日本国内の労働力不足を、中国人を強制連行することで補う方針を決めました。この方針に基づいて日本軍は「労工狩り」「兎狩り」作戦によって捕らえた「俘虜や一般住民」を「華北労工協会」の指導のもとに軍の俘虜収容所に設置された「労工訓練所」に入れたのです。軍から受け取った「華北労工協会」は「俘虜・一般住民」を「労工」として訓練します。「労工」でありながら労働契約はなく、契約は「華北労工協会」の趙琪傀儡理事長と鹿島組とで「契約書」を交わしています。捕らえられた中国人は家族とのわかれの会話もなく、その「労工訓練所」から花岡・鹿島組(中山寮)に送り込まれたのです。強制連行は企業、政府、日本軍によって行われたのです。
 中国人が収容された「中山寮」は窓らしき窓もなく、敷いたムシロは腐って真っ黒となり、暗い部屋の中は臭気が立ち込めていた。食べ物は一日万頭1個とリンゴの絞りカス、ドングリ粉の入ったパンなど粗末な食事であった。
 今年は、1944年8月に中国人の第一陣299人(途中5人が死亡)が花岡に強制連行されてから80年になります。そして、翌年には第二陣589人(途中2人が死亡)、第三陣98人と会せて986人が連行され、途中7人が亡くなり、花岡には979人が到着します。44年5月29日、七ツ館坑道の上を流れる花岡川が大陥没し、坑内作業中の日本人11人、朝鮮人11人が死亡します。鹿島組は、同年10月からこの花岡川の水路変更工事を請負い、中国人はその工事に従事させられたのです。
 内務省は1944(S19)年7月13日、「華人取扱に関し花岡鉱山と鹿島組に対する指示」を提示します。これによると、北海道のイトカム鉱山の華労は花岡鉱山の華労よりも食糧が不足であるが能率が良い。花岡の華労には「濡れたタオルの水が一滴もなくなるまで絞る方針を取れ、華人の性格には表裏ありて裏に陰謀術策が秘められ日本人に想像の出来難い点がある」
 少ない食事と長時間労働、鹿島組の一部補導員による虐待・惨殺など人間としての尊厳を奪われ、次々と倒れ419人の殉職者が出ます。
 今日の慰霊祭は、中国人の憤りや悲しみ、悔しさを胸にきざみ、二度と過ちを繰り返さず、平和を守る新たな出発にしたいと思います。
                                    2024年6月30日
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来年は80周年、節目の年
殉職者はもちろん、まもる会の先達・先々代蔦谷達道導師、武田武雄、佐谷陽吉、佐谷陽一父子、佐藤守、岩田正行、伊藤保各氏の追悼も合わせて行いたいと考えております。