2月14日~15日、宮城教育大学の山内明美さん企画の花岡事件踏査のため秋田県大館市を訪れた。
アジア・太平洋戦争末期、鹿島建設の花岡出張所で強制労働を強いられていた中国人労働者が、過酷な待遇と環境の中で蜂起を試みるが発覚し、拷問を受けるなどして419人が亡くなった花岡事件。
「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」の齋藤光雄さんと庄司時二さんに案内していただいて大館市内のゆかりの地をまわり、
新居広治氏、滝平二郎氏、牧大介氏が花岡事件を物語詩と連作版画で記録した、1951年製作の『花岡ものがたり』の版木も拝見するというとても貴重な機会を得た。
ずっと疑問に思っていた『花岡ものがたり』の表紙だが、牧歌的な平和な農村が表紙に描かれているのは戦争によって夢にも思わない破局へ急崩落していく「物語の始まりの表紙」だからだとのこと。
またタイトルを「事件」ではなく「ものがたり」にしたのは口を閉ざしていた人々に証言をする有機をもってもらいたかったからとのこともお話を伺えて本当にありがたく思う。
版木は丈夫な桜の木を使用しているが、調達したのは内山嘉吉氏だったそうで、魯迅による中国版画運動の水脈が、この花岡にも到達し、伝説とも言える作品を生み出したこと、しかも中国人労働者の尊厳を表す絵がその版木に刻まれたことに感動した。
そして今回案内してくれた庄司さんは、教育版画運動にも携わっていた方で、地元の小学生と共に花岡事件を題材に制作した版画作品『あの山を越えて』の実物も見せていただくという僥倖にも恵まれた。
遥か遠く及ばないけれどその意思を継いでいきたいとずっと思っていた戦後の教育版画運動が目前に迫ってきて胸が熱くなった。
これからも木版画制作を通してたくさんの人と出会っていきたいし、そのことから学んでいきたいと強く思う。
版画はやはり「闇に刻む光」、人びとや個人の声を伝え、異なる時代や地域をつなぐことのできる民衆のメディアであることを確認した。
パレスチナに対するイスラエルの占領と虐殺、クルド人に対するヘイトスピーチ、外国人技能実習制度、入管や刑事施設での虐待や暴力・・・花岡事件を知ることは、今を生きる私たちのまわりにある差別や搾取、国家の暴力に向き合うことにも繋がると思う。
優しくしてくれた補導員を殺したくないために蜂起の期日を延期したという事実からは、無論その想像を絶する状況に絶句しながらも、ああ、人はそのような過酷な状況でも決死の覚悟で行動を起こすのか、
またそのような過酷な状況でも優しくしてくれた人間には(それが敵側の人間であっても)生殺与奪を考え直すほどの敬意を払うのか、
そしてその場に自分がいたらそこまで尊厳を守るための行動ができたのか、など思うことがたくさんあった。
帰路に着く飛行機から見送った大館市の山々の景色は、庄司さんから見せていただいた共同制作の作品『あの山を越えて』を想起させた。
生徒たちとタイトルを考える際の話合いで、いろんな案が出たがそのタイトルに決まったという経緯はとても尊いと感じる。
あの山を越えれば自由になれると、中国人の方々はあのときそう思ったのだ。
木版画集団A3BC(エースリービーシー)メンバー 一同