信正寺における中国人殉難烈士慰霊は、1945年11月、鹿島組が信正寺へ搬入した四百余箱の殉難者の遺骨に対する、信正寺第二十世蔦谷達道師による供養から始まります。この遺骨供養は、鹿島組が1949年11月、華人死没者追善供養塔を建立するまで、4年間続けられます。
1950年9月、花岡事件殉難者第一次遺骨発掘事業で発掘された八箱の遺骨は、信正寺本堂に安置され、翌月東京へ移送されるまで信正寺で供養されます。同年10月、遺骨の東京移送にあたって、中央団体と山本常松花岡町長主催による、慰霊祭が信正寺で行われます。
1951年7月1日、信正寺で中国人殉難者遺族代理金一秀施主とする現地住民による慰霊祭が開催されます。
1953年3月、華人死没者追善供養とから四百余箱の遺骨が取り出され、新しい骨箱に移されて、信正寺に安置され、同年3月25日、信正寺で秋田県中国俘虜殉難者慰霊実行委員会主催による、慰霊祭が行われます。
1960年4月姥沢で発見された花岡事件殉難者新遺骸調査を契機にはじまる、第二次遺骨発掘事業で、1963年6月に発掘された遺骨は十二箱に収められ、信正寺に安置され、同年9月1日、同寺で日中友好協会大館支部準備会・同花岡支部準備会・日本平和委員会大館北秋支部の三者共同主催による慰霊祭が行われます。
慰霊実行委員会は、鹿島組に姥沢ダムが満水した後でも埋没しないような永久的殉難者遺跡表示設置と、日中不再戦友好の記念碑建立を求めますが、山本花矢町長はその要求の未実現の経過を見て、1962年10月「中国人死没者慰霊塔」建立を発案し
ます。
慰霊実行委員会側は題字の変更を求め、「中国人俘虜殉難者慰霊の碑」・「中国人殉難烈士之碑」の二案を提示します。1963年10月、山本町長・鹿島組が、厚生省の調停のもとに、慰霊実行委員会に「中国殉難烈士慰霊之碑」案を示し、実行委員会側はこの案に同意します。
1963年11月24日、花矢町長・鹿島建設株式会社・同和鉱業株式会社秋田鉱業所花岡鉱山部三者建立による「中国殉難烈士慰霊之碑」の除幕式が行なわれました。除幕式終了後、信正寺において、第二次遺骨発掘事業で発掘された十二箱の殉難者に対する慰霊祭が花矢町・鹿島建設・同和鉱業・秋田県中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会共催によって行われました。この遺骨は、1964年11月、第九次中国殉難者遺骨送還・「連行された中国人の名簿」伝達統一代表団(団長黒田寿男)によって中国へ捧持されます。統一代表団として、秋田県中国俘虜殉難者慰霊実行委員会から鈴木義雄・武田武雄・蔦谷達元の三氏が同行します。
1967年6月30日、信正寺で日中友好協会大館北秋支部主催の中国人殉難烈士の慰霊祭が行われます。その後、同支部主催の中国人殉難烈士慰霊祭は1971年まで6月30日に信正寺で行われます。
1971年10月30日、日中不再戦友好碑をまもる会が発足します(会長武田武雄・理事長佐藤守)。それ以降、現在に至るまで日中不再戦友好碑をまもる会主催による中国人殉難烈士慰霊祭は、例年6月30日に信正寺において営まれております。
信正寺における中国人殉難烈士慰霊供養は、1945年信正寺第二十世蔦谷達道師からはじまり、次いで第二十一世蔦谷達元師、さらに第二十二世蔦谷達徳師に継承されています。
「中国殉難烈士慰霊之碑」建立後、碑前における慰霊祭は、1967年花矢町が大館市に合併するに至るまで、花矢町主催で営まれています。慰霊祭は八月または十月に仏式で実施され、導師は蔦谷師でした。日中友好協会会員も慰霊祭に参列しています。
1967年12月、花矢町が大館市と合併するに当たって、山本常松町長は合併の条件の一つに「中国殉難烈士慰霊之碑」前の慰霊祭実施を挙げ、石川芳男大館市長はこれに応じます。
1967年から1985年まで、中国殉難烈士慰霊之碑前における、大館市主催の慰霊祭は、八月または十月に、蔦谷師を導師に仏式で行われております。
1979年より畠山健治郎市政になりますが、中国殉難烈士慰霊之碑前の慰霊祭は当初6月30日ではありませんでした。1985年、花岡事件四十年に当たって畠山市長は、中国人殉難者慰霊式を6月30日に、大館市民体育館で実施します。その後、1990年まで中国殉難烈士慰霊之碑前で6月30日に慰霊祭を仏式で実施します。
1991年、小畑元市政が発足し、中国殉難烈士慰霊祭は、中国人殉難者慰霊式として6月30日に実施されております。
慰霊式は、1955年(花岡事件50周年の慰霊式は大館市民体育館)以外は中国殉難烈士慰霊之碑前で行われております。
2015年、福原淳嗣市政が発足、引き続き6月30日に「中国人殉難烈士慰霊之碑」前
で慰霊式を実施しております。
大館市主催の中国人殉難者慰霊式には、日中不再戦友好碑をまもる会へもご案内があり、毎年、幾人かの会員が午前中の慰霊式に参列しております。信正寺における花岡事件中国殉難烈士慰霊祭には、大館市長へご案内をさしあげ、代理の方が参列されております。
以上が6月30日に、中国人殉難者慰霊行事が大館市主催と「まもる会」主催によってなされる経過です。